第77回 民族学研修の旅 台湾東部の原住民族を訪ねる ─ ─パイワン族・プユマ族の村へ

第77回 民族学研修の旅 台湾東部の原住民族を訪ねる ─ ─パイワン族・プユマ族の村へ

2011/03/10~03/13

台湾東部は原住民族が多く暮らす地域です。博物館や史跡のほかに同行講師の調査地の村を訪ね、パイワン族、プユマ族の方と交流します。1日目の晩にはプユマ族の方のお宅で伝統的なお食事をご用意いただきます。翌日はパイワン族の方の工房を訪ね、美しい刺繍やトンボ玉飾りなど、伝統工芸の制作の様子を見せていただきます。  あまりクローズアップされていませんが、台湾の原住民族を知る上で日本の植民地時代の調査(たとえば鳥居龍蔵や鹿能忠雄のコレクション)は貴重な資料となっています。原住民族文化について学ぶとともに、台湾の歴史についても振り返ってみたいと思います。


第77回 台湾東部の原住民族を訪ねる-─パイワン族・プユマ族の村へ 実施報告

日本から3時間足らずで行ける台湾ですが、予想以上にさまざまな発見がありました。原住民族の方々の意識の強さも博物館の展示も政治の状況と切り離すことができない台湾の歴史。日本統治時代の受容の柔軟さとタフさ。現地の空気のなかでお話を聞くことで、すっと入ってくるものがありました。そしてなんと言っても印象深かったのはプユマ族、パイワン族の方たちとの心あたたまる交流です。

参加者の西村陽恵さんの感想を紹介します。
プユマ族の方々のおもてなしに大変感動しました。伝統料理、お酒、踊り・・・。とくに後半、みなが輪になり手と手をとりあって踊れたことは最高にたのしかったです。
1日目の晩に講師の野林厚志先生の調査地の南王という村を訪ねました。日本語も達者なプユマ族の方々が粟のお酒にちまき、イノシシ、山鳩、カタツムリにさまざまな山菜やフルーツなどたくさんの伝統料理をご用意くださいました。私たちを迎える儀式、年長者を敬う儀式に続いて始まった踊りと歌の大宴会では、粟酒でほろ酔い気分の私たちも輪に加わって踊りました。
街のあちこちでみかけたビンロウも体験できましたし、釈迦頭という台東名産の果物も 何人もの方から「台湾の豊かな歴史、文化を知って、また行ってみたくなりました」という声が聞かれました。

参加者の枡野玲子さんの感想を紹介します。
台湾に関しては1895~1945年まで日本が支配していたことは知っておりました。しかし、九州大の土地に本省人、外省人、14の原住民族が住んでいるとは存じませんでした。
それ以上に台湾の人々が日本統治時代のものを保存、保全、再建しているなどということは夢にも思わないことで、驚きと同時にこの事態をいかに理解すればいいのか、私にとって新しい問題というか考えなければならない様々なことを突きつけられた想いです。


プユマ族の村での宴会の様子


年長者を敬う儀式の様子


ビンロウの食べ方講座


小袋に詰めて売られているビンロウ

第392回 日本におけるチベット研究のはじまり ─青木文教のたどった道

演題
日本におけるチベット研究のはじまり ─青木文教のたどった道

内容
仏典を求めてチベットに渡った青木文教は、ラサ市内で4年間を俗人として暮らしながら収集をすすめました。仏典だけでなく1910年頃の現地の人びとの生活についての映像資料など、さまざまなものを日本へもたらしました。民博に収蔵されている青木文教の資料や彼の生涯について紹介します。

※講演会終了後、講師との懇談会をおこないます。(1時間程)講演内容などの質疑応答や会員同士の交流の時間にもなっています。ぜひご参加ください。

講師
長野 泰彦(国立民族学博物館教授)

日時
2011年2月5日(土) 14時~15時30分

場所
国立民族学博物館2階 第5セミナー室

定員
96名(先着順)

備考
■友の会会員:無料

第391回 ことばの歴史・ひとの移動史

演題
ことばの歴史・ひとの移動史

内容
語族という言い方を耳にしますが、ことばが同じグループに属するとはどういうことなのでしょうか。ことばの分類はなぜ、人の歴史と結びつくのでしょうか。「ことばの遺伝子」の分析と応用についてのお話です。

※講演会終了後、講師との懇談会をおこないます。(1時間程)講演内容などの質疑応答や会員同士の交流の時間にもなっています。ぜひご参加ください。

講師
菊澤 律子(国立民族学博物館准教授)

日時
2011年1月8日(土) 14時~15時30分

場所
国立民族学博物館2階 第5セミナー室

定員
96名(先着順)

備考
■友の会会員:無料

季刊民族学135号 2011年 冬

機関誌
津軽の春 冨田 晃(文)
和嶋 慶子(写真)

弦の響き
津軽三味線の形成と現在

冨田 晃

明治時代、本州の北端津軽の地にこつ然と現れた津軽三味線。 現在では伝統音楽に区分されながらもその歴史は意外に浅く、その名が定まり全国に知れ渡ったのは昭和の高度経済成長期が過ぎてからのことである。 現在の津軽三味線をかたちづくっているのは、太い棹やイヌの皮をもちいているといった楽器の特徴のみならず、スピード感あふれる撥さばき、日々演奏技巧に磨きをかける奏者たち、「津軽じょんから節」に代表される楽曲群、そして、一九七〇年代以降、メディアによって与えられた「津軽イメージ」である。

1章 弦楽器の誕生

人は、いつのころから音を愛で、音を奏でるようになったのだろう。 人は、太古から、風や水の音を聞き、鳥や虫、動物たちが棲む森の音を聞き、そして仲間が発する音に耳を傾けてきた。 人が歌い、掛け声を出し、手を打ち鳴らしはじめたのは、楽しさや面白さという感情や、ほかの人に何かを伝えたいとか、新しい何かをつくりたいというような、そんな心もちをもちあわせるようになった遠い昔のことなのだろう。

2章 津軽の地における三味線

江戸や京都・大阪から遠く離れながらも、古くからひとつのまとまった地域であった津軽。 閉ざされた環境とはっきりとした四季の移ろいのなかで、言語、芸能、祭礼など、独自性の高い文化が醸成された。 ただし、閉鎖性の高い津軽にも、そこに出入りする人がいた。 参勤交代の武士たちは江戸から義太夫をもちこみ、日本海沿いに交易をする北前船にのって 各地の民謡が伝わり、そして、ボサマ、ゴゼサマとよばれる盲目僧が三味線をかかえて旅をした。

津軽三味線 皮張り工程

コラム 津軽三味線よ世界に響け

3章 創りだされるイメージ 津軽と沖縄

エドワード W. サイード(1935~2003年。パレスチナ系アメリカ人の文化批評家)は、政治的、経済的、軍事的に覇権力をもつヨーロッパが、みずからの植民地主義的な欲望のもと、アジアや中東を、ロマンチックに飾り立てたイメージを「オリエンタリズム」とよんで、これを批判した。では、戦後の日本において、映画・出版・レコード・広告といった東京の文化産業が、「北の津軽」と「南の沖縄」をもちいてつくりだしたイメージとは、どのようなものだったのだろうか。

再見細見世界情勢17
地球温暖化とイヌイット

岸上 伸啓

万国喫茶往来 第8回
イタリア バールとエスプレッソ

池上 俊一(文) 大村 次郷(写真)

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【地域(国)】
東アジア(日本)
北アメリカ(アメリカ、カナダ)
ヨーロッパ(イタリア)

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【執筆者(五十音順。肩書は発行当時のもの)】
池上 俊一(いけがみ しゅんいち 東京大学総合文化研究科教授)
大村 次郷(おおむら つぐさと 写真家)
岸上 伸啓(きしがみ のぶひろ 国立民族学博物館教授)
冨田 晃(とみた あきら 弘前大学准教授)

第95回 ことばの歴史・ひとの移動史

演題
ことばの歴史・ひとの移動史

内容
語族という言い方を耳にしますが、ことばが同じグループに属するとはどういうことなのでしょうか。ことばの分類はなぜ、人の歴史と結びつくのでしょうか。「ことばの遺伝子」の分析と応用についてのお話です。

※講演会終了後の懇談会では、質疑応答とボントック語ミニ講座(みんぱくフォーラム「ことばの世界へ」の体験講座)をおこないます。(1時間程度)

講師
菊澤 律子(国立民族学博物館准教授)

日時
2011年1月16日(日) 14時~15時30分

場所
江戸東京博物館 学習室1

定員
50名(申込先着順)

備考
■友の会会員:無料