135号 2011年 冬

機関誌
津軽の春 冨田 晃(文)
和嶋 慶子(写真)

弦の響き
津軽三味線の形成と現在

冨田 晃

明治時代、本州の北端津軽の地にこつ然と現れた津軽三味線。 現在では伝統音楽に区分されながらもその歴史は意外に浅く、その名が定まり全国に知れ渡ったのは昭和の高度経済成長期が過ぎてからのことである。 現在の津軽三味線をかたちづくっているのは、太い棹やイヌの皮をもちいているといった楽器の特徴のみならず、スピード感あふれる撥さばき、日々演奏技巧に磨きをかける奏者たち、「津軽じょんから節」に代表される楽曲群、そして、一九七〇年代以降、メディアによって与えられた「津軽イメージ」である。

1章 弦楽器の誕生

人は、いつのころから音を愛で、音を奏でるようになったのだろう。 人は、太古から、風や水の音を聞き、鳥や虫、動物たちが棲む森の音を聞き、そして仲間が発する音に耳を傾けてきた。 人が歌い、掛け声を出し、手を打ち鳴らしはじめたのは、楽しさや面白さという感情や、ほかの人に何かを伝えたいとか、新しい何かをつくりたいというような、そんな心もちをもちあわせるようになった遠い昔のことなのだろう。

2章 津軽の地における三味線

江戸や京都・大阪から遠く離れながらも、古くからひとつのまとまった地域であった津軽。 閉ざされた環境とはっきりとした四季の移ろいのなかで、言語、芸能、祭礼など、独自性の高い文化が醸成された。 ただし、閉鎖性の高い津軽にも、そこに出入りする人がいた。 参勤交代の武士たちは江戸から義太夫をもちこみ、日本海沿いに交易をする北前船にのって 各地の民謡が伝わり、そして、ボサマ、ゴゼサマとよばれる盲目僧が三味線をかかえて旅をした。

津軽三味線 皮張り工程

コラム 津軽三味線よ世界に響け

3章 創りだされるイメージ 津軽と沖縄

エドワード W. サイード(1935~2003年。パレスチナ系アメリカ人の文化批評家)は、政治的、経済的、軍事的に覇権力をもつヨーロッパが、みずからの植民地主義的な欲望のもと、アジアや中東を、ロマンチックに飾り立てたイメージを「オリエンタリズム」とよんで、これを批判した。では、戦後の日本において、映画・出版・レコード・広告といった東京の文化産業が、「北の津軽」と「南の沖縄」をもちいてつくりだしたイメージとは、どのようなものだったのだろうか。

再見細見世界情勢17
地球温暖化とイヌイット

岸上 伸啓

万国喫茶往来 第8回
イタリア バールとエスプレッソ

池上 俊一(文) 大村 次郷(写真)

**********

【地域(国)】
東アジア(日本)
北アメリカ(アメリカ、カナダ)
ヨーロッパ(イタリア)

**********

【執筆者(五十音順。肩書は発行当時のもの)】
池上 俊一(いけがみ しゅんいち 東京大学総合文化研究科教授)
大村 次郷(おおむら つぐさと 写真家)
岸上 伸啓(きしがみ のぶひろ 国立民族学博物館教授)
冨田 晃(とみた あきら 弘前大学准教授)