114号 2005年 秋


ボルドーの露店野菜市
文/写真・森枝 卓士

特集 日本料理を食べる人びと

いま、日本食が世界にひろがっている。日本料理はきわめて文化的しばりのつよい食品で、それほどのユニバーサル性をもつとは思われていなかった。それなのになぜ世界で受け入れられたのか、そのことが日本料理の将来にどう影響するのか、たいへん興味をそそられる。この特集では、現地で活躍する研究者の報告と、将来の戦略を考えている日本料理関係者の意見をうけ、それに基づいて日本食の世界拡散の意味を明らかにしたいと考えている

ムアンの歳時記  最終回
実りのよろこび

樫永 真佐夫
イラスト・栗岡 奈美恵

東南アジア北部の盆地の一つ、ムアン・クアイ。山裾に高床家屋が連ねる黒タイの村々。陽光が降り注ぎ、盆地一面が黄金色に色づく10月、ギエップ村は活気に満ちあふれる。家族総出で田んぼの刈り入れ、脱穀、風選、貯蔵・・・農作業が一段落すると、男たちは家の建て替え、女たちは染め織りに大忙し。新米を炊き、新築祝い、婚礼があいつぐ。宴の酔いも醒めやらぬうち、年の瀬が迫り、ムアンの一年がひとめぐり。おこわの味と香りを懐いつつ夢語る最終回

西双版納に焼畑を求めて
森林破壊の現実

福井 勝義

飛行機からみえる西双版納の山々の荒廃ぶりは、目を覆うばかりである。かつて日本人の「原郷」として、ロマンをかりたてたこの地は、焼畑の終焉とともに、大きな転換期を迎えつつある

新連載 海人万華鏡 第1回
羅臼の海人は国境の民、花咲漁港は国境の町

文・あん・まくどなるど
写真・礒貝 浩

海が創る、あるいは創らせている空間には、陸の存在を吸い込んでしまう力があるように思う。その世界に引きこまれれば引きこまれるほど、地球が水球に見えたりするときがある

南半球ワイン紀行・番外編
「旧世界」の伝統から生まれる新しいワイン

森枝 卓士

良質なワインを求めて南半球をめぐる旅は、世界に冠たるワイン産地フランス・ボルドーへと帰結する

113号 2005年 夏


ツフィの少年
文/写真・飯田 裕子

ヤイラで過ごすトルコの夏

南 真木人
本郷 一美

遊牧民ヘムシンとラズは、夏を迎えると、家畜をひきつれて3000メートル級の山の上で過ごす。ヤイラとよばれる夏営地での暮らしは、彼らにとって民族的アイデンティティを確認する特別な場所となる。ヤイラでの暮らしがトルコ人の原点といわれる由縁を探る

エイシュ・シャムシー
太陽のパン

奥野 克己

上エジプトの伝統的なパン、エイシュ・シャムシーは、経済活動の活性化にともない、ナイル川に沿って急速にひろがりつつある。ひとつのパンをとおして見えるイスラームの社会関係を考える

ムアンの歳時記 第3回
稲の恋する雨曇り

樫永 真佐夫
イラスト・栗岡 奈美恵

ベトナム、中国、ラオス、タイ、ビルマの国境をまたいで、タイ系民族の盆地世界、ムアンは点在している。その一つ、ムアン・クアイが雨季を迎えると、稲は人の手を離れて育ち、山野の幸が村の食卓を潤す。雨雲果つる9月はじめ、国慶節に村の若者たちは浮き足だっている。電化、情報化で、町がどんどん身近になり、緑豊かな村で家族が身を寄せ合っていた生活も変わりゆく。ベトナムの少数民族、黒タイ村落での暮らしを見つめるシリーズ第3回

黄土高原、日本人結婚式顛末記
地域に寄り添い、地域と動く

深尾 葉子
安 冨歩
写真・山 石

村びとたちは「現代的」な結婚式をあげ、その費用返済のために長期的な出稼ぎに出る。若者たちの意識改革に向けて、忘れられつつあった伝統的な結婚式を復活させようと、あるイベントが動きだした

 

極北家族
アラスカのエスキモーとアリュート

八木 清

はじめてのエスキモーの村への旅、それは5月初旬のことであった。前日に大学を卒業したばかりのわたしは、ニュートックという人口200人ほどのユピック・エスキモーの村へむかった

アマゾンの陶器生産
遺跡とグローバリゼーションのあいだで

古谷 嘉章
写真・橋本 文夫

ブラジル・アマゾンの先史文化については、同じ南米でもインカに代表されるアンデス地方に比べればほとんど知られていない。ここでいう「先史文化」とは、もちろん文字によって自分たちの記録を残していない文化という意味であり、歴史をもたない文化という意味ではない。そうした先史文化については、その姿を解明するために文字記録以外のものに頼ることになる。遺跡やそこから出土する土器は、その有力な手がかりである。しかし、そこに刻みこまれた意味をどのように読み取ることができるのか?考古学だけが、その唯一の方法というわけではない。

112号 2005年 春


バテッの少女
文/写真・阿部 健一

特集 生物の多様性、文化多様性

近年、生物多様性を持続させるためには文化の側面を考慮に入れるべきだという見方がひろまりつつある。生物と文化の多様性について、世界的な共通認識を構築するために、アジア、オセアニア、そして日本における人類学的、生物学的事例から考える

多様性に、人類学的祝福を 地域で考える自然と文化 阿部 健一
現代の貧困とは、グローバリゼーションによるさまざまな多様性の喪失である。多様なものがぶつかりあい、触発しあい、そこからあらたな創造が生まれる。多様性こそ創造の源泉である。人類と生物にとっての、真のゆたかさの意味を問い直したい

熱帯魚の海 秋道 智彌
水族館だけでなく、一般家庭でも飼育されるようになった熱帯魚。その美しさと可愛さゆえに人びとを魅了し、みる人をはるかなサンゴ礁の海へと誘う。わたしたちが水槽のガラスごしに観賞する魚。その魚を漁民たちはどのような思いで獲っているのだろうか。商品化によって、魚は大切な食料から貴重な収入源へと変わった。熱帯の海で起こっている人と生態系の変貌とは

一様化してゆく日本の食 佐藤 洋一郎
「デパ地下」の食材をみていると、現代日本はグルメブームの究極にあるといって過言ではない。しかし、それは世界じゅうの食材を買い漁った結果であり、日本の土地で生産される食材の数はどんどん減ってきている。家庭で消費される食材も、ここ何十年かのあいだにどんどん失われてきた。日本の食はどこにいくのか、食と大地とのかかわりを考える

漆と工芸品 日高 真吾・土村 清治
南蛮貿易において、ヨーロッパ人好みの装飾を施し、盛んに輸出された日本の漆器。江戸時代には簡略化した漆工技術が廉価な日用什器を生み、ひろく親しまれた。漆工品は芸術品であり、実用品である。とかく芸術的な面だけに目がゆきがちな工芸の世界だが、ひとつの産業であることを忘れてはいけない。海の向こうに原材料のおおくを求めざるをえない今日、伝統の技術はいかに受け継がれてゆくのか

ムアンの歳時記 第2回
春を告げる嵐

樫永 真佐夫
イラスト・栗岡 奈美恵

東南アジア北部の山あいでの話。タイ系民族の人びとは、米を作っている盆地世界それぞれをムアンとよんできた。かつて日本兵も遊んだムアン・クアイの山で、村びとたちは焼畑をひらき、掘り棒を使って植え付ける。夜半には雷雨が春を告げる。若者には恋の予感も__ギエップ村の暮らしを伝えるシリーズ第2回

民族文学の父クロイツヴァルトとエストニア人
未来を信じる力を与えるもの

小森 宏美

19世紀、エストニアの人びとのアイデンティティ形成に力をつくした啓蒙運動家クロイツヴァルト。彼の作品が民族覚醒の時代や独立戦争をへて、いまなお読み継がれる理由はどこにあるのか

クメールの伝統織物

写真・大村次郷

インドシナ半島では、イカットとよばれる絣織の技術がうけ継がれてきた。糸をしばって染色し、織りとする技法である。カンボジアの風土から生まれた黄金色の繭。紡がれた糸は自然の染料で染められ、優美な文様の布に織り上げられる。内戦で途絶えかかった伝統の技法は、いま復興へと動きだした

東南アジア織物文化におけるカンボジア チャム・マレー人の技術を中心に 岩永 悦子
精密な括り技術、発色と文様の美しさで、カンボジアの絹緯絣はアジアの絣でも群を抜く。クメール人によって受け継がれ、高められた染織技術。その絣の最高傑作のなかに、ごくまれにイスラーム的モティーフが登場する。イスラーム化した少数民族マレー系チャム人たちの優れた技術によるものである

次代につなぐ、営みとしての染めと織り 伝統の知恵を育む森の再生 森本 喜久男
カンボジア文化の至宝、古代寺院アンコール・ワット。壮大な石造伽藍がそびえ立つ古都シャムレアップの町で、いまクメール伝統織物が復興されている。技術の伝承だけでなく、素材となる木や植物を植え、森をつくり、そこで働く女性たちの自立をめざす。自然と人が一体となった「再生」のプロジェクトである

111号 2005年 新春


マルカパタ村のヨネちゃん
山本 紀夫

特集 人と自然との共生

人びとは地域に根ざした「在来の知」により、自然とゆるやかに接し、共生してきた。近年の高度な技術発展と大規模開発は、この人の営みと自然とを切り離してしまったのだろうか。アンデス、ヒマラヤ、そして愛知県矢作川をとおして、人と自然のゆるやかな関係を考える

現代に蘇ったインカの知恵 稲村 哲也
アンデスの草原を人びとは駆け抜ける。はるかインカ時代におこなわれていたビクーニャの追いこみ猟「チャク」の復活である。自然をゆるやかに管理し利用する古代の知恵が、現代社会に蘇ったのだ。その姿がわたしたちに告げているものは何であろうか

アンデスとヒマラヤにおける自然のゆるやかな管理 稲村 哲也 山本 紀夫
アンデスとヒマラヤ。この二つの高地には多様な自然環境が狭い範囲に凝縮されているという共通の特徴があるいっぽう、緯度の差などがもたらす、大きな違いがある。人びとは、それぞれの地域の環境に順応し、自然と共生してきたのである

ヒマラヤから矢作川へ 半栽培とやわらかな自然とのかかわり 文/写真・古川 彰 写真・横井 恭夫
ヒマラヤと愛知県矢作川。地理的にも文化的にも大きく隔たったこのふたつの地域を結び付けるものはいったい何であろうか。そこには、現代社会に生きる、人びとの共通した叡知がある。

水産資源の持続的利用を目指して 文・芝村 龍太 写真・横井 恭夫
川岸ではおおくの釣り人が糸をたらしている。ひさしくみられなかったこの光景は、流域住民の目にどのように映ったのだろうか。彼らは、長年にわたり、川との多様なかかわりの回復をめざし、さまざまな取り組みをおこなってきたのである

多国籍ベースボールの時代

杉本 尚次

かつてアメリカにわたった移民たちがみずからのアイデンティティを確認するかのようにベースボールに熱中した。現在では国境を越えて、さまざまな人びとがベースボールに夢を求めて、アメリカにむかう。

ムアンの歳時記
第1回 ムアン・クアイの正月

文・樫永 真佐夫
イラスト・栗岡 奈美恵

ゆるやかな川がせせらぎ、田んぼのむこうには緑なす青垣、西日本の田舎にもありそうな、そんな盆地風景に東南アジア北部のあちこちで出会うだろう。タイ系の人びとは、国境と関係なくそのひとつひとつをムアンとよんできた。おらがくに、ムアン・クアイでの人の生き方を折々の慣習と行事からたどる

中国・旅游熱潮
新三峡にみるツーリズム産業の隆盛

文・高山 陽子
写真・鎌澤 久也

長江の自然と史跡が織りなす絶景は、むかしから人びとに愛でられてきた。巨大ダムの建設によって流域の景観は変わっても、依然として長江をゆく船旅の人気は高い。しかしその水底にはおおくの史跡と暮らしの記憶が沈む

京の神饌

文・岩井 宏實 写真・土村 清治 山崎 義洋四季折々、自然からうけた恩恵を神に捧げる神饌。京都には名だたる神社がおおく、神事・祭礼に献供される神饌も多彩である。その饗宴を通じて人がねがったのは、神との一体感をたしかめることであった