102号 2002年 秋


半農半牧民ハマルの少年
船尾 修

ハマル
グローバリゼーションのなかで

船尾 修

アフリカ最後の聖域ともいわれるエチオピア南西部オモ川流域。中央政府の影響をほとんどうけることなく、今なお独自の生活を営んでいるといわれるこの地域にも、グローバリゼーションの波は確実に打ち寄せている。半農半牧民ハマルの現在

 

特集 探検記の誘惑 民族学者の魂をふるわせた25冊

いま民族学者として活躍する人たちに、どうして民族学を一生の仕事として選んだのかを質問すると、「一冊の探検記との出会いがあったから」と答える人がおおい。そこで編集部は、国立民族学博物館の研究者たちにアンケートを試みた。「あなたの魂をふるわせた探検記・旅行記はなんですか」と。そこで集まった数おおくの書物のなかから、友の会発足25周年にちなみ、25冊を厳選して紹介する。秋の夜長、一冊の本のなかで、地球の果てまで旅しよう

H・E・L・メラーシュ『ビーグル号の艦長』 艦長と博物学者と宣教師

阿部 健一(文・写真)/中村 征夫(写真)
ビーグル号による世界航海は、ダーウィンの進化論を生みだした探検としてあまりにも有名だ。しかし、その航海をみちびいたのは艦長フィッツ・ロイであり、宣教師マシューズも一役をになっていた

河口慧海『チベット旅行記』 100年前のヒマラヤ・チベット単独行

高山 龍三(文)/小松 健一(写真)
血を吐き、霰に打たれ、渇き苦しみ、あげくに凍死寸前。たび重なる苦難のなか、仏の加護を信じ、好奇心を忘れず行動した記録は、チベット・ネパールの民族誌の古典としていまも世界から高い評価をうける

鼎談 探検記は人類に何をのこせるか

本多 勝一/石毛 直道/松原 正毅
探検記、旅行記。ときに強烈なエキゾチズムを感じさせ、ときに大いなるアジテーションを喚起するこれらの記録は、営々として築き上げられてきた人類の足跡である。いま一度これを読み返し、時代を超え、空間を越えて読み継がれるべきその意義を三人のフィールドワーカーが語り合う

創刊25執念記念企画・四半世紀ののちに3
ユーラシアの激動
ソ連のアフガン戦争からアメリカのアフガン戦争まで

松原 正毅

いま世界で何がおきているのか。ユーラシア中央部の遊牧社会を対象とする著者のフィールドワークは、歴史的転回点である1979年以降、ときに世界の激動の波頭を目撃しながらおこなわれた。9.11事件以降いっそう現実味を帯はじめた、地域の破滅という最悪のシナリオを回避する手だてとは

101号 2002年 夏


パリのセネガル人
写真◎AFP=時事
文◎編集部

特集 国家/国境をこえて

国家をゆるがす、国境をこえようとするさまざまな現象が生起している。昨年9月11日の事件、そしてその後の国家対テロ組織の「戦争」、これらも、この流れのなかに位置づけられるべきものなのだろう。21世紀、人類はどのような方向をめざすのか。国家をこえた、民族をこえた、宗教をこえた共存原理を構築することができるのだろうか

境界の風景

渡辺 剛

見える事象をそのまま伝えられるという写真の特性をいかして、その互いにせめぎあう複数の風景をひとつに再構築し提示してみせる。それはそのまま、わたし自信の自己確認の作業でもある

いま、わたしたちが立っている場所
2002年版・21世紀の人類像

梅棹忠夫 × 小長谷有紀

「一見、地球の一体化がすすむようにみえて、しかし内容が分裂また分裂と、諸民族の実態的独立というところへすすんでいく」 1979年3月の講演で、梅棹忠夫は21世紀前半をこう予言した。そして2002年のいま、民族問題、グローバリズム、情報化社会のただなかにいるわれわれの21世紀を考える

近代日本国家の成立とアイヌ社会

菊池勇夫

日本とロシアのあいだの国境は、たかだか150年、千島における事実上の国境の成立からみても200年程度の歴史しかない。日本とロシアが出会う以前の時代に逆戻りはできないにしても、国境の壁をできるだけ低くして、隣人同士がいがみあう不幸な関係をただしていくことは可能だろう

弱さゆえに卓越する国家の暴力性

栗本英世

皮肉なことに、弱いにもかかわらす、いや、弱いからこそ、国家の暴力的な側面が卓越してくる。アフリカの国家の、相反するふたつの側面 ─ 弱さと融通無碍、つよさと堅固さ─ は、武力紛争や内戦と密接に結びついている

アメリカとメキシコの相克と対話

黒田悦子

国民が国境を越えて苦労しているのに、メキシコという国はいったいなにをしているのか。メキシコは北の大国の労働力提供国に甘んじようとするのだろうか。国が国民を守らないのなら、国は存在する価値があるのだろうか

歴史と政治のせめぎあう場所

谷川 清

社会主義精神文明の建設をスローガンにかかげ、国家統合をすすめる一方、「民族文化」の育成と発展を急ぐ中国政府。国家を挟んだ少数民族の生活圏をいかに保持し、それを国家の発展に結びつけるかどうかが鍵になる

政府を補完するイスラム教団

小川 了

ムリッド教団の人びとにとっては国境を飛び越すことなどなんともないようにみえる。他方で彼らはグローバル化の裏をかいているのではないかとも思える。グローバル化の波に乗って得た利益が、いわばローカルな教団を支え、そのことがセネガル「国民」の安寧に寄与しているのだ

近代世界システム論からみた21世紀

川北 稔

20世紀末から日本が経験している困難は、「不況」なのか「衰退」なのか。「衰退」はかならずしも「不幸」を意味するとは限らないし、「勃興」や「成長」もまた、かならずしも「幸福」を意味するわけではない。東アジアを主語として考え、そのなかでの日本の位置を考察することが、21世紀をみるうえでもっとも重要になるだろう

創刊25周年記念企画・四半世紀ののちに
サンゴ礁を旅して
オセアニア水産資源管理の25年

文/写真・秋道智彌

沿岸のサンゴ礁海域と沖合の表層部分に集中する南太平洋の水産資源。独立、近代化を果たし、経済のグローバル化の影響をまともにうけてきたオセアニア諸国は、土着の資源管理の衰退ないし揺らぎを経験している。未来をになう若い世代は、激動の海を乗り切れるだろうか

日本洋装史のなかの田中千代

高橋晴子

服飾デザイナーとしてのみならず、『服飾事典』の執筆、国内外の衣服関連資料の収集など、日本の洋装化のさまざまな面においての先駆者、田中千代。4,000点におよぶそのコレクションのなかでも、企業などの制服、改良服、国民服の数かずは、日本の洋装史を跡づける第一級の資料といえよう

在米ポーンペイ人の「9月11日」
カンザス・シティーのヤキュー大会

文/写真・ 清水昭俊

アメリカのどまんなか、カンザス・シティーでおこなわれた「野球」大会。ここで「野球」に打ち込んでいたのは、遠くミクロネシア連邦のポーンペイ州からきた人びとだった。彼らは野球を「ヤキュー」とよび、大会をおこなう9月11日は1945年のこの日、ポーンペイ島が日本統治から「解放」された記念日なのである

100号 2002年 春


未来の遺跡
写真◎福永幸治

特集 国立民族学博物館友の会25年の歩み

20世紀が、イデオロギーにもとづく政治システムの時代であったならば、今世紀は諸民族が自己を主張する時代といわれる。1977年に開館した国立民族学博物館は、豊富な民族学の研究成果を展示に反映させつつ、それまでにない新しい世界観を提示した。今日の混沌とした状況のなかで、その役割はますます重要性を増している。「国立民族学博物館友の会」は、国立民族学博物館と市民をむすぶ橋渡し役としてさまざまな活動をおこない、ことし25周年をむかえた。

人間賛歌 私たちは出会う

谷川俊太郎

対談
世界が民族学的知識をもとめる、いまこそ

石毛直道
梅棹忠夫

国立民族学博物館開館と同時に発足した「国立民族学博物館友の会」はことし25周年をむかえた。国立民族学博物館は当時、時代を先取りするあたらしいコンセプトと展示で注目をあつめ、同様に「友の会」も国内ではそれまでにないユニークな組織としてたくさんの会員から共感をいただき、活動を開始した。今日まで25年におよぶその活動をつうじて、民族学の普及、そして国立民族学博物館の支援団体として「友の会」が果たしてきた役割と意義を考える。

創刊25周年記念企画・四半世紀ののちに 1
「夜明けの大陸」アフリカの未来

米山俊直

内戦がつづくコンゴ(旧ザイール)、かつて調査したテンボ人の地域で、携帯電話など小型機器の電子部品に不可欠の金属タンタルが産出するという。1970年代、精力的にすすめたテンボ人研究は、地図の上では針金でついた小さい点のような少数民族の研究だったが、それは同時にアフリカ大陸、アフリカ人全体をみるための手段だった

メイキング・オブ・2002年ソウルスタイル

朝倉敏夫・佐藤浩司・笹原亮二

2002年春、民博にソウルが出現した。家族5人が生活する高層アパートの住宅、屋台がならぶ酒場の喧噪、儒教の国の伝統をうけつぐ小学校の教室、物売りの声で活気づく市場。おとうさん、おかあさん、おばあさん、そして子どもたち…。李さん一家をとおして、ソウルのいまを紹介する特別展「2002年ソウルスタイル」は、いかに実現したか

ソウルのくらしを「あるがまま」に
朝倉敏夫さんに聞く「2002年ソウルスタイル」展

ソウルに暮らす家族の生活財を一括収集し、あるがままに紹介する今回の展示は、李さん一家だったからこそ実現した。一家の住居を中心にひろがる展示空間がめざすもの

ものいわぬ物に生命の光りをともす
佐藤浩司さんに聞く「李さん一家の生活財調査」
物にはそこにあるべき歴史の必然があり、人にはその社会で生きているための存在理由がある。それが個人の可能性をおいもとめてきた今回の調査・展示をささえる基本理念だった

ソウルにあらわれた「日本」
笹原亮二さんが語る「近い隣の国、日本」展

韓日共同の展覧会は、企画段階からさまざまな意見の食いちがいが生じた。互いが考える「日本」像をめぐる紆余曲折。その準備作業をとおして両国がみたものとは

環境と文化を考える 最終回
カラハリ先住民の“静かな”戦い

池谷和信

先祖伝来の土地が自然保護区に指定され、近年、政府から移住勧告をうけたカラハリ先住民サン。動物こそが真の食べものとみなす彼らにとって、新興住宅地での生活はうまくいくのだろうか

編みから織りへ
牧畜民ラバリの手工芸

上羽陽子

先祖伝来の土地が自然保護区に指定され、近年、政府から移住勧告をうけたカラハリ先住民サン。動物こそが真の食べものとみなす彼らにとって、新興住宅地での生活はうまくいくのだろうか
※4回連続のシリーズ「環境と文化を考える」の最終回

99号 2002年 新春


アフガニスタンの少年
写真◎長島義明

特別企画◎家族発見
対談 家族の再生にむけて

河合隼雄
江口一久

家族の再生はなるか。現代日本人の家族の心のひだを、心理療法家の第一人者とアフリカ口承文芸の研究者が解き明かす

21世紀最初の試練
─ アメリカ同時多発テロとアフガン攻撃

写真=長島義明

アメリカ同時多発テロ、それにつづくアフガン攻撃は、21世紀人類の最初の試練となった。 2001年9月11日、この日は今後、世界史が新しい段階にはいった日として記憶されることになるのだろうか

聖地をめぐる宗教と政治

臼杵 陽

アメリカがなぜイスラエルを支援するのかということを考えた場合、アメリカ国内の強力なイスラエル・ロビーの存在を抜きにしては語れない。しかし、英米とパレスチナの精神的なつながりは、17世紀ピューリタン革命期に生まれた終末論にまでさかのぼる

「理念の共和国」の強さと危うさ

大津留(北川)智恵子

最新兵器でタリバーンを攻撃するアメリカ軍、その傍らに破壊されるべきインフラすらない人びとの暮らし。アフガニスタンの情景は、アメリカとそれを批判するムスリム(イスラム教徒)との世界観の落差をあまりにも象徴的に示している

イスラーム理解の可能性

子島 進

世界宗教イスラームから生みだされるものが暴力と憎悪だけということがありうるのか。パキスタンにおけるイスラームの基本的教義に基づく社会的活動を検証し、異文化としてのイスラームとわたしたちのあいだの「共感」の可能性を探る

ファッショナブル・インディア

杉本星子

インド女性の民族衣装といえば、サリー。しかし、サリーがナショナル・コスチュームとなったのは、それほど古いことではない。インドの人びとが、この一枚の布と戯れながらつくりだしてきたファッションをふりかえる

「今西錦司の世界」を展示する

瀬戸口烈司

2001年6月、「京大の野外研究」をメインテーマのひとつとする京都大学総合博物館が開館した。生誕100年を迎えた学問の巨人、今西錦司を回顧する企画展示「今西錦司の世界」は、京大の野外研究のルーツをさぐるという意味もあわせもっている

企業ミュージアム探訪 7
「資生堂企業資料館・資生堂アートハウス」

野村雅一

顔フォーラムから 4
撮られ慣れて生まれる「いい顔」

稲垣邦子

環境と文化を考える 3
暮らしの中の環境意識
─ ネパールの村々から

南 真木人

ネパールの環境劣化を分析する専門家はなにを語り、人びとの暮らしはどのように変わったのか。 生活者にしかみえない景観と環境意識からネパールの環境問題の見取り図を描く
※4回連続のシリーズ「環境と文化を考える」の第3回目