理事長徒然草(第13話)
「アイヌ文化と和人文化―国立アイヌ民族博物館のビーズ展に寄せて」

 国立アイヌ民族博物館が昨年(2020年)白老町に開館し、このたび第3回特別展示「ビーズ アイヌモシリから世界へ」(以下、「ビーズ展」 なお、副題のアイヌモシリの「リ」の字は、本来は小文字表記)が10月2日に開幕しました。この展示は国立民族学博物館の巡回展でもあり、千里文化財団が両館をつなぐ関係で主催者に名を連ねています(写真1、2)。実際に担当したのは資料の選定や移動、演示などへの支援・協力です。いわば「縁の下の力持ち」のような役割ですが、ビーズの巡回展としては2度目になります。初回は2018年秋に岡山市立オリエント美術館でひらかれた特別展「国立民族学博物館コレクション『ビーズ つなぐ かざる みせる』」でした。

ビーズ展のテープカット
写真1 ビーズ展のテープカット
写真2 ビーズ展パンフレット
写真2 ビーズ展パンフレット

 ビーズ展の順路としては「ビーズとは何か」の導入からはじまり、「多様な素材」、「歩み」、「つくる」を経て、民博で作成したさまざまな地域の映像21本をアレンジした「ビーズとくらし」を見て、「ビーズで世界一周」と「グローバル時代のビーズ」のコーナーで締めるというものでした。900㎡程の広い空間に約500点ものビーズ資料がならび、ガラス玉や卵、石や貝、歯や骨、木の実など多様な素材をつなぎあわせた装飾品が北海道を中心に世界に広がっている様子を示していました。時代と空間を越えてひろがるビーズの文化を丹念に、ときには執拗と思えるほど追い求め、地球上における人類の広がりと重ね合わせているように感じました。

 ここでは表題のテーマに絞って、いくつかの感想を述べてみたいと思います。まず、アイヌ文化ではタマサイというガラス玉の首飾りが有名ですが、クマ送り儀礼のクマにもつけられていたことを知り、人獣の親近性を感じるとともに、儀礼の前後でどのようにあつかわれたかが気になりました。誰のタマサイで、元の持ち主に戻されたかどうか、といったような疑問です。タマサイは黒竜江流域の山(さん)丹(たん)人との交易によってもたらされたガラス玉(アイヌ玉)を使用する女性用の首飾りです。玉の多くは中国製であり、アイヌがみずからつくることはしませんでした。毛皮や海産物との交易によって玉を入手し、好みのタマサイをつくって母から娘へと継承したのがアイヌ文化です。和人がつくったガラス玉がアイヌ社会に流通するのは19世紀になってからであり、明治末から大正にかけてアイヌ観光がはじまった頃にタマサイも派手になっていきました。ただし、それを身につけて踊りを披露したりしたのは白老や旭川など観光客に接することが増えた一部の地域や人びとだけだったようです。山丹交易のコーナーでは2001年の民博特別展「ラッコとガラス玉―北太平洋の先住民交易」を思い出しました。さまざまな首飾りと「山丹錦」とか「蝦夷錦」とよばれた青地の衣装が目に焼き付いています。

 国立アイヌ民族博物館の基本展示室も見学しました。広々とした明るい空間に最新のテクノロジーを駆使した展示デザインが随所に見うけられました。

チセ内部を紹介する大型モニター
写真3 チセ内部を紹介する大型モニター
プラザ方式という中央広場から四方八方にアクセスできるゾーニングも印象的でした。また、チセ(家)とよばれる茅葺きの伝統家屋が復元されていなかったこともひとつの発見でした。床面には間取りだけを示し、手前の大型のモニターでCGの映像を流すという見せ方は大胆かつ斬新でした(写真3)。チセは野外展示として何棟も復元されているのですから、屋内に展示する必要はないわけです。ちなみに、探究展示テンパテンパ(さわってねの意)はこのたび「第15回キッズデザイン賞」の優秀賞(経済産業大臣賞)を受賞しました。

 札幌で立ち寄った北海道博物館でも意欲的なアイヌ展示がなされていました。チセに代表される伝統的なアイヌ文化を紹介するコーナーに加え、「現在を知る」というコーナーが設けられ、「明治」と出会った世代から開拓、開発、戦争、高度経済成長、「単一民族国家発言」などをキーワードに現在の世代に至る、「ある家族の物語」をマンガタッチで表現していました(写真4)。また、白老から足を延ばして訪問した伊達市の「だて歴史文化ミュージアム」においても「伊達にふたつの大きな歴史の流れあり」というテーマのもと、縄文・アイヌ文化と海を渡ってきた伊達家の武家文化とを対比・融合させて観覧に供していました(写真5)。

現在へと続く、ある家族の物語
写真4 現在へと続く、ある家族の物語
だて歴史文化ミュージアム
写真5 だて歴史文化ミュージアム

いずれにおいても固定的なアイヌ文化と和人文化の対比ではなく、ダイナミックな交流のあった歴史的変遷の過程をふまえて常設展示を構成していました。かつて蝦夷地(えぞち)と称され、明治以降は北海道と改称された北の大地は、いまやアイヌ新法(アイヌ施策推進法)のもとで民族共生の空間をめざしています。白老のポロトコタンは民族共生象徴空間ウポポイとして脱皮し、国立の博物館施設が誕生しました。当財団も今回は国立民族学博物館と国立アイヌ民族博物館とのささやかな橋渡し機能を果たすことができたことをよろこぶとともに、今後も民族学の振興にお役に立てることがあれば出番をいとわない覚悟です。現代で言うところのステーク・ホールダーの皆さまの発展にいささかなりとも貢献できることを願ってやみません。(2021年10月6日)