167号 2019年 新春

特集 二つの顔をもつ山――世界遺産・富士山

有史以来頻繁に噴火し、江戸中期の宝永噴火を最後に現在は休止しているものの依然活
火山である富士山は、二つの顔をもっている。
火の神と結びつく火山の顔と、水の神と結びつき火を鎮め人を清める水の源としての顔、これらはまた男性神と女性神に対応づけられ、近くから見れば荒々しい山肌や畏れを、
遠くから見ると憧れを抱かせる円錐形の美しい顔をもつ。
 富士山が世界遺産に登録された際の要件は、「信仰の対象」と「芸術の源泉」であるが、時代によってその一方が強調され、その後、もう一方へと交替してきた歴史がある。
 縁起物「一富士二鷹三茄子」や、フジという読みの当て字も、福慈、不二(二つとない)、不死、不尽などめでたいものである。また、江戸時代の絵のモティーフである富士と龍も「不時、すなわち時ならざる不幸を断つ」という語呂合わせとして、吉兆の印としても捉えられてきた。
 新年にあたり、おめでたい富士山の両義性を踏まえつつ、富士山のもつさまざまな顔に
ついて考えたい

2019(平成31)年1月25日発行 
発行所:一般財団法人 千里文化財団

『季刊民族学』は「国立民族学博物館友の会」の機関誌です。「国立民族学博物館友の会」へご入会いただければ定期的にお届けいたします。

第35回人文機構シンポジウム 参加申込フォーム

35回人文機構シンポジウム 「中東と日本をつなぐ音の道―音楽から地球社会の共生を考える」 参加ご希望の方は、以下のフォームに必要事項をご入力のうえ、お申し込みください。 本講演会は定員に達したため、受付を終了いたします。たくさんのご応募ありがとうございました。

理事長徒然草(第4話)

博覧会の遺産、あなどるべからず

 6月18日の大阪府北部地震の余波で7月の友の会講演会は中止せざるをえなくなりました。というのも民博の被害が阪神・淡路大震災以上に甚大で、エントランスホールの通行もセミナー室の利用もできなくなってしまったからです。民博の閉館は8月23日に部分的に解除されることになっていましたが、そのままいくと8月の友の会講演会も開催できないことになりかねませんでした。そこで会場と講師、日程を変更してまでも実施できないかと画策した結果、まず万博公園内のニフレルのご厚意で会場をお借りすることができました。講師についてはいろいろやりくりしてみましたが、民博の現役はフィールドワークのかせぎ時とあって、誰も都合がつきませんでした。ならば名誉教授シリーズということで、わたしがその役目を果たすことになったという次第です。

1年ほど前、わたしは「民族学で解く千里ニュータウンと大阪万博」(第469回)という題で講演を担当しました。それにつづき千里の地元にまつわるテーマで第2弾をとかんがえたところ、箕面駅前にあったコーヒー喫茶のチェーン店、カフエーパウリスタのことがおもいうかびました。いまをときめくスターバックスの先駆けがカフエーパウリスタであり、その1号店が箕面にできたことはあまり知られていません。地元ネタとして関心をもってもらえるのではないかと期待し、「日本人のブラジル移住とコーヒー文化の逆流―カフエーパウリスタ箕面喫店を中心に」という題に決めました。その要約は『友の会ニュース』(No.248)にゆずりますが、要点は以下のとおりです。

  1. ブラジル移住は1908年の笠戸丸が最初ですが、日本人はサンパウロ州のコーヒー農園の労働者としてコーヒー豆の生産に従事した。
  2. 他方、サンパウロ州政府はコーヒー豆を無償提供し、日本にコーヒー文化を根付かせようとした。
  3. その仲立ちの役割をはたしたのが「移民の父」と称せられる水野龍(りょう)であった。かれは最近、「珈琲普及の母」ともよばれている。
  4. 水野は1911年、合資会社カフエーパウリスタを設立し、銀座を本店としたが、それより半年はやく、1911年6月、箕面駅前に1号店がオープンした。
  5. コロニアル風の洋館にテナントとしてはいったカフエーパウリスタは山林こども博覧会の開会式にコーヒーを提供している。
  6. 洋館の建物はその後、豊中市に移築され、キリスト教会の集会所となったりしたが、長期間にわたり豊中倶楽部自治会館が近年まで使用してきた。
  7. 2013年10月1日、豊中倶楽部自治会館の建物の解体がはじまったが、一部の部材は同自治会館や豊中市文化財保護課が保存することとなった。
  8. 2013年の北大阪ミュージアムメッセ@民博特展場地下において模型、映像、パネル等で紹介された。
  9. その後、大阪歴史博物館、高知県立図書館、高知県佐川町、箕面市立郷土資料館、JICA横浜海外移住資料館などでも展示された。
  10. カフエーパウリスタ甲陽園店の建物も2016年に解体されたが、一部の部材は神戸市立海外移住と文化の交流センターの移住ミュージアムに移管され、一般公開された。

この講演のなかでひとつのひらめきを得ました。それは観覧車にかかわることです。というのも、ニフレルのとなりには大観覧車がまわり、エキスポシティの集客に一役買っています。他方、カフエーパウリスタ箕面喫店の写真にも山中に観覧車が写っています。これは山林こども博覧会のアトラクションとして建てられました。場所は今の箕面スパガーデンのところです。当時は動物園も併設されていました。それはのちに宝塚に移転され、宝塚ファミリーランドの動物園として2003年まで開園していました。

 観覧車と博覧会は切っても切れない縁があるようです。1970年の大阪万博の時もエキスポランドには観覧車がありました。その大阪万博のあたえた影響のひとつに日本人が世界の飲食文化にふれたことがあげられます。アメリカのファスト・フード、インドのカレー、ロシアのピロシキ、ブルガリアのヨーグルトなどがその代表例です。あたらしい文化の導入に博覧会はおおきな役割りを果たしています。そして博覧会の跡地もまた、さまざまなかたちで博覧会の遺産をひきついでいます。万博公園、太陽の塔、民博もその仲間にはいります。

 博覧会は期間限定のお祭りですが、その施設は解体あるいは移設され、その跡地もまた公園や展示施設、あるいは商業施設などに再利用されています。かならずしも雲散霧消するわけではありません。日本におけるコーヒー文化の大衆化が箕面の博覧会でまずのろしが上がり、銀座や道頓堀などの盛り場にひきつがれていったことも、ひとつの興味ぶかい事例を提供しているようにおもわれました。「博覧会の遺産、あなどるべからず」です。お祭りの後始末ではありますが。

【参考文献】
拙著「旧カフエーパウリスタ箕面店が提起する問題」『JICA横浜海外移住資料館研究紀要』第8号、国際協力機構横浜国際センター海外移住資料館、2014年、37-47頁。


【北大阪ミュージアムメッセの展示(2013年)<筆者撮影>】

理事長徒然草(第3回)

大阪北部地震の対応について

大阪北部地震から10日がすぎました。国立民族学博物館は展示場や収蔵庫をはじめ、阪神淡路大震災のときに匹敵するさまざまな被害をこうむりました。震源地にちかいことや揺れの方向もあってか、それをうわまわる被害も生じています。そのひとつが3階の書庫や4階の研究室における本の落下です。図書室の所蔵する67万冊の書籍のうち、約3分の1が落下・散乱したまま積み重なってしまい、その排架作業には2ヶ月程度かかると想定されています。大阪北部地域の博物館、美術館のなかで、民博がその巨大さに対応するかのように、群を抜いて被害をこうむっていることはたしかです。

震災直後のショップの様子
震災直後のショップの様子

 民博内に事務所やショップをもつ当財団もいろいろな影響を受けていますが、職員一同、鋭意復旧につとめております。とはいえ、民博の展示場がしばらく閉鎖されているため、インフォメーションやショップのサービスが提供できなくなっています。しかし、そのかわりに、落下した図書の整理に人員を振り向けたり、収蔵庫の資料整理に人数を割いたりしています。また、ショップではネット通販に力を入れたり、仮設の売り場を模索したりしているところです。他方、『季刊民族学』や『月刊みんぱく』の編集・出版のほうはおかげさまで間髪を置かず通常どおりの業務にもどっています。

 とはいえ、残念ながら中止を余儀なくされた会合や講演会もあります。恒例の「友の会講演会」も残念ながら7月7日(土)の分は実施できなくなりました。楽しみにされていた会員の皆さまにはたいへん申し訳なくおもっております。

 予期せぬ自然災害とはいえ、みんぱく友の会の活動やサービスに支障をきたしていることをお詫びするとともに、「禍(災い)転じて福となす」のことわざのように、福=幸(さいわい)にむけて努力を惜しまない覚悟ですので、ひきつづき御支援・御協力のほどをおねがいする次第です。