第84回 民族学研修の旅 梅棹忠夫のモンゴル調査をたどる旅 ─ 中国内モンゴルの草原と史跡をゆく

第84回 民族学研修の旅 梅棹忠夫のモンゴル調査をたどる旅 ─ 中国内モンゴルの草原と史跡をゆく

2014年9月8日(月)~14日(日)7日間

1944年から45年にかけて、梅棹忠夫は、現在の中国内モンゴル自治区で現地調査をおこないました。現在、河北省に編入されている張家口を出発し、グンシャンダク砂丘を越えてモンゴル人民共和国(当時)との国境ちかくまで北上し、西スニト旗をとおって戻ること六ヶ月の旅でした。この内モンゴル調査をきっかけに、梅棹は動物の生態から人間の営みへと、しだいに関心を移していったといわれています。第84回民族学研修の旅では、終戦後、梅棹が引揚げ時に持ちかえった調査記録をもとに、かれの調査行をたどり、内モンゴル社会の変容にも目を向けてみたいと思います。 是非ご参加ください。

※ 6/28(土)開催の第109回東京講演会は、事前学習にもなる機会です。こちらも併せて、お申し込みをお待ちしております。

■スケジュール
【9/8(月)】
空路、東京・大阪よりそれぞれ北京へ。着後、専用バスにて河北省北西部の町・張家口へ。 ※添乗員は大阪より同行し(往復)、東京からのお客様とは北京にて合流します。(張家口泊)

【9/9(火)】
午前中、張家口観光(日本統治時代の役所建物、張家口誌史グループとの交流、万里の長城の主要な門・大境門など)。その後、専用バスにて、内モンゴル自治区・錫林郭勒(シリンゴル)盟の正藍旗(上都鎮)へ。(上都鎮泊)

【9/10(水)】
朝、2012 年にユネスコ世界遺産に登録された元上都遺跡を見学。その後、グンシャンダク砂丘にて砂と植物を見学します。昼食は、砂丘の南麓に位置する風光明媚なジャガスタイ湖付近のゲルにて、モンゴル族の家庭料理(羊肉料理やミルクティー、ヨーグルトなど)をご賞味ください。その後、専用バスにて正鑲白旗(ミンアント鎮)へ。(ミンアント鎮泊)

【9/11(木)】
専用バスにて蘇尼特(スニト)左旗(マンダラト鎮)へ。途中、清代に建立された布日都(ブルト)廟を訪問。着後、ゲルク派の古刹貝勒(ベーリン)廟跡へ往復観光。(マンダラト鎮泊)

【9/12(金)】
終日、スニト左旗の観光(吉仁(ジャラン)廟跡、スニト博物館)など。(マンダラト鎮泊)

【9/13(土)】
専用バスにてシリンゴル盟の中心地・錫林浩特(シリンホト)へ。着後、シリンホト観光(モンゴル族の歴史・文化・生活習慣を展示する蒙元文化博物館、内モンゴルの四大寺院のひとつ貝子(ベイス)廟、額爾敦敖包(エルデニ・オボ)山)。(シリンホト泊)

【9/14(日)】
朝、航空機にて北京へ。着後、航空機を乗り換えて帰国の途につきます。着後、解散。

みなさん、是非ご参加ください。


第84回 梅棹忠夫のモンゴル調査をたどる旅-中国内モンゴルの草原と史跡をゆく 実施報告

民博初代館長梅棹忠夫先生のモンゴル調査ルートをたどるため、中国内モンゴルを訪問しました。
併せて牧畜文化を対感することのできた7日間でした。


訪問先では、チーズや乳茶、馬乳酒と、いずれのお宅でもお手製の乳製品のもてなしをしていただきました。


牧畜民のゲルを訪問。
現代を生きる彼らは衛星放送を受信し、固定されたゲルに暮らしていました。


広大な土地。

第83回 民族学研修の旅 ベトナム西北部 少数民族の世界へ ─

第83回 民族学研修の旅 ベトナム西北部 少数民族の世界へ ─

2013年11月21日(木)~29日(金)

【盆地、山地にくらす少数民族】
あまり知られていませんが、ベトナムは54民族からなる多民族国家です。紅(ルビ:ホン)河デルタの中心に多数民族のキン族(ベト族)によって築かれた都ハノイから山に向かって100キロいかないうちに、少数民族の世界にはいります。それぞれの民族がそれぞれの社会的、政治的事情により、それぞれ独自の文化を歴史的につくりあげてきました。山を越え、谷をわたり、棚田が広がる美しい景観を楽しみながら旅ゆけば、ムオン、ターイ(白タイ、黒タイ)という盆地民、モン(赤モン、青モン)、ルー、ザオなどの山地民など、じつに多くの民族の人びとと出会えるでしょう。

【白タイの村のくらしを体験】
マイチャウでは白タイの村を訪ねます。村は水田が広がる美しい盆地にあります。同行講師の知人らが、現地式の宴会で私たちをもてなしてくださいます。村の人たちが囲炉裏でつくるおこわや民族料理、伝統的な壺酒(米の発酵酒)などをいただきます。村の高床式家屋に宿泊し、実際の住まいも体験できる予定です。

【市場でフィールドワーク】
朝夕の市場は活気があり、さまざまな珍しい現地の物産が売られているだけでなく、華やかな民族衣装をまとった少数民族に出会えるのも楽しみの一つです。観光地の市場は最近の観光化に伴い変化してきましたが、今回は村の人たちがふだん買い物をするような小規模な市場にもできるだけ立ち寄る予定です。民族によって顔つき、表情、身ぶり、売り方も違っていたりするので、人々のやりとりのようすもじっくり観察してみてください。ハノイやソンラーでは民族に関する博物館も訪ねますが、フィールドワーカーとして旅を楽しみましょう。

この時期のベトナム西北部はとても過ごしやすい気候です。山地民のモン族のガイドさんと棚田散策を楽しむ機会もあります。美しい景色、そしておいしい食べ物も楽しみましょう。運良く雲も月もない夜は、満天の星空が楽しめることでしょう。

ぜひご参加ください。


第83回 ベトナム西北部 少数民族の世界へ- 実施報告

2013年11月21日~29日 9日間の日程で、ベトナム西北部の少数民族の村を訪ねる民族学研修の旅を実施しました。 あちこちでバスをとめ、民家や市場をいくつも訪ねました。 それぞれの村でのお食事もおいしくて、みんないつでもお腹いっぱい状態でした。 参加者の中には植物に詳しい方も多く、植物談義も盛り上がりました。 また、白タイ族の村では高床住居にも泊まりました。 谷間に広がる棚田。 火がついている焼き畑。 鶏や豚が村を走り回り、水牛は夜になると自ら小屋に帰ってくる・・・ 動物と人間の距離がとても近くて、村でも市場でも動物、人が”生きている”というエネルギーを強く感じました。
参加者の感想をご紹介します。

佐藤芳郎さん
いろいろなところでバスをとめ、民家、風習の説明をうけ、つぶさに少数民族の実生活をみて、充実感をいだいた。

池谷正子さん
ベトナムの北西部=山地=不便=へき地と思っていましたので、アスファルトの道路に街並みという街の風景に驚きました。また、モン族、黒タイ族、ザオ族の家屋の中に入り、生活の様子を見聞することができたことはすばらしい経験でした。講師のフィールドワークの緻密さ、的確さに感謝すると同時にその知識を伝えてくださるこまかい配慮と、よく練られた行程に本当に満足する良い旅でした。

寺田一雄さん
北ベトナム少数民族の旅は2度目でしたが、講師や現地ガイドの丁寧な説明で、住居、生活、民具など、より詳しく見学でき、良かったです。この民博の研修旅行はこれ以上に考えられない旅行で、また参加したいです。


棚田と焼き畑


黒モン族の家を訪問


市場で購入した子豚を竹カゴに入れて持ちかえるモン族の女性


手すき紙を干しているところ

第82回 民族学研修の旅 マダガスカルの森と海を訪ねる ─ ─サザンクロス街道をゆく

第82回 民族学研修の旅 マダガスカルの森と海を訪ねる ─ ─サザンクロス街道をゆく

2013年7月9日(火)~7月20日(土)12日間

【霧の森、ザフィマニリの村を訪問】
特別展の舞台、ザフィマニリの村は標高千メートルの高地に点在しています。私たちはその玄関口となる村を訪ね、展示に登場した家の中を見せていただいたり、村を散策しながら、人びととの交流をはかります。 日本での展示開催にあたって、現地で協力してくれた人たちが展示を見た人の感想を聞きたいということで、展示場に「霧の森に通じるポスト」が設置されています。そこで集められた感想や手紙を村の人たちに届けながら、実際に現地を訪問している私たちの感想も伝えたいと思います。

【“無形文化遺産”の意味を理解する】
ザフィマニリの村には「特別な」建物や遺跡などはありません。彼らの場合は木彫に関わる技術や知識が、コミュニティを支えるのに重要な役割を果たしているということが、無形文化遺産登録のおもな理由でした。村では木彫だけでなく、カゴや敷物を編む姿など、身近にある材料で生活用具が作られる様子があちこちで見かけられます。なんの気負いもなく、必要なものをみずから作ってくらす村の空気、時間の中でこそ、こうした“無形文化遺産”の意味をより深く感じることができるのではないでしょうか。

【西海岸の漁村のくらし】
マダガスカルのくらしや文化は、森のくらしだけでは語ることができません。そこで海にくらす人びとも訪ねます。同行講師は長年、ヴェズという西海岸の漁民の人びとのくらしや漁撈技術の調査をすすめてきました。漁に使うカヌーを見せていただくなど、漁の様子や彼らのくらしについても、村の人からお話をうかがいます。 マダガスカルの森と海のくらしが今回の旅のテーマですが、やはりマダガスカルの壮大な自然も見逃せません。地図にお示ししたサザンクロス街道を走破しますので、マダガスカルの大きさ、そして多様な地形、環境の移り変わりもお楽しみください。

第81回 民族学研修の旅 ミャンマー・タバウン月の祭りを訪ねて ─ ─仏教と精霊ナッの儀礼

第81回 民族学研修の旅 ミャンマー・タバウン月の祭りを訪ねて ─ ─仏教と精霊ナッの儀礼

2013年3月19日(火)~3月28日(木)10日間

ミャンマーの新年は4月中旬頃です。3月はミャンマーの暦で1年の終わりの月にあたり、タバウン月とよばれます。タバウンにはミャンマー最大の都市、ヤンゴンにあるシュエダゴン・パゴダ祭りがおこなわれるほか、各地の町や村でもパゴダ(仏塔)祭りがおこなわれます。さらに、精霊ナッの大きな祭りも見られる、とてもにぎやかな季節です。

精霊ナッの信仰
ミャンマーの人びとの大多数は敬虔な仏教徒です。しかし、彼らの日常生活には折にふれて精霊ナッが登場します。家の隅の柱につるされたココヤシの実は家を守るナッです。町や村にはそれらを守るナッが、路傍や大木の下の小さな祠にまつられています。人びとがお供えをして願い事をする姿が見られることもあります。私たち日本人にとってちょうど「カミ」さまのようなものでしょうか。仏教では仏陀以外の超自然的な存在を信じ、それらに関わることは好ましくないとされています。しかし、仏教がおもに来世への願いに関わるのに対し、ナッは現実の生活のさまざまな願い事をかなえてくれる存在です。

今回の旅はこのナッ信仰の「聖地」を訪ねます。マンダレーの近くにあるタウンビョンと、有名な仏教遺跡パガンから少し離れたところにあるパカーンなどです。祭りにはミャンマー全土から多数の霊媒(ナッカドー)が集まり、色彩豊かな衣装とにぎやかな音楽とともに、ナッに踊りを奉納します。興味深いことにパカーンのナッは大酒飲みでギャンブラーと伝えられています。このような仏教の教えに反する不道徳な存在が信仰の対象とされているところに、ミャンマーの文化のおもしろさや奥深さを垣間見ることができます。

また、ミャンマーの仏教の聖地シュエダゴン・パゴダの満月の祭りにも参加します。さらに、多くの仏塔、僧院が立ち並ぶパガン遺跡、マンダレーの世界一大きな経典、鐘、パゴダなどもあわせて訪ねます。そこでは「たてまえ」の宗教に注がれる信仰のエネルギーに圧倒されることでしょう。

今、ミャンマーは大きな転換点にあります。そうしたミャンマーの現実の姿、人びとのくらしと密接に結びついた信仰のかたち、そして伝えられてきた歴史のあとをたどることで、ミャンマーという国のかたちを一緒に考えてみたいと思います。


第81回 ミャンマー・タバウン月の祭りを訪ねて-─仏教と精霊ナッの儀礼 実施報告

今でも脳裏にうかぶのはパゴダの数と大きさ。そして パゴダや仏像に、時にはもとの形が分からなくなるほどに 金箔が貼られていたり、カラフルな電飾で彩られてまばゆいば かりに輝いていたことです。

仏教の祭りや得度式のほかに精霊ナッの祭りも見学しま した。猛烈な砂埃の中、ボートや牛車に揺られてようやく 到着した村で霊媒師の奉納の踊りを見学したり、神像が祀ら れている神殿を見せていただきました。イラワジ川を船で 一日かけてくだりながら、沈む夕日を眺め、見聞きした出来 事を咀嚼したり、目に入るものは何でも紹介しようという 同行講師のレクチャーに耳を傾けた贅沢な10日間でした。


タウンビョン村のナッの神殿にて


朝早くからお参りの人が絶えないシュエダゴン・パゴダの満月の祭りの様子


イラワディ川を丸一日かけて船で下りました。(マンダレーからバガンまで)船に乗るのも一苦労

第80回 民族学研修の旅 アドリア海交易のかがやき ─ ─バルカンの歴史・民族を考える

第80回 民族学研修の旅 アドリア海交易のかがやき ─ ─バルカンの歴史・民族を考える

2012年5月17日(木)~26日(土)

ボスニア・ヘルツェゴビナ、アルバニアなどが位置するバルカン半島の西部は、さまざまな民族や宗教が混在したモザイクのような地域という印象が強いのではないでしょうか。

たとえば、かつてオリンピックが開催されたサラエボでは、セルビア正教会、カトリック教会、シナゴーグ、モスクが隣接する街並みに旅人は魅了されたと言います。こうした多文化共生の背景を学ぶことが、この旅の目的のひとつです。

今回訪問する都市の多くは、かつてアドリア海の交易で栄えた都市です。天然の良港に恵まれ、古代からさまざまなものや人がゆきかう舞台でした。なかでもアドリア海の真珠と称されたドブロヴニクは、16世紀当時、世界最高レベルの海洋技術を有し、ヴェネツィアと比肩されるほどの勢いをもっていました。サラエボやモスタルなど内陸の都市も、交易の中継地点として互いに結びつき、ハプスブルグ帝国、オスマン帝国など覇権をめざす大国の間で生き抜いてきました。ドブロヴニクが繁栄した時代は、ヨーロッパでオスマン帝国の脅威が増した時代に重なります。対立と緊張が常であった大国の間にあって、両地域の人びとの生活の需要をみたす交易が、この地域に繁栄をもたらしたのです。さらに東西どちらの文明からもいわゆる「周縁」の地であったことも、異端とされた宗派の人びとやユダヤ人などさまざまな背景をもつ集団の居住を許容していたのです。

ところが民族を単位とする近代国民国家が形成される時代になると、こうした文化的多様さはしだいにきしみを見せ始め、バルカン戦争やボスニア内戦などさまざまな悲劇の原因となりました。しかし、そうした対立を経て、現在ではあらためて共生の道が模索されています。アドリア海沿岸の歴史と自然の美しさも楽しみながら、バルカンの多民族の複雑さとこれからの姿を考えてみましょう。


第80回 アドリア海交易のかがやき-─バルカンの歴史・民族を考える 実施報告

今回はバルカン半島の西側を中心に訪ねました。旧ユーゴスラビア連邦に属していたボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、モンテネグロ。共産政権による独裁政治下で長らく鎖国をしていたアルバニア。それぞれの国で考えさせられることが多い旅でした。
参加者の感想です。

2度目のバルカン訪問により、複雑なバルカン問題を理解するには書物による知識と現場での実体験のサンドイッチを核として、じんわりと時間が熟成してくれるイメージで待つのが、無理矢理わかろうとするよりも良いと思えるようになりました。(桝野玲子さん)

ユーゴ紛争の跡を見て、あの時の事件がここであったのかと、感慨にふけりました。モスタルの橋の両側にモスクと教会があり、隣人同士が撃ち合った現場を目の当たりにしてショックでした。サラエボの図書館も灰燼と化し、人類の喪失と嘆かれました。(池谷豁さん)

民族間の紛争はなぜ起こったのか。そもそも多民族が複雑に入り交じって暮らすようになったのはなぜか。その鍵が中世の交易による人の往来に求められるのではないか、という予想のもとに考えた企画でしたが、やはり百聞は一見に如かず。そこであらためて聞いた講師の新免光比呂先生の解説は、それまでとは異なる理解を促してくれたように思います。

長らくの鎖国体制と、その後の国としての財政破綻を経て、まさしく「これから」という感じがあふれるアルバニアでは、建築バブルの様相も呈していて不安も感じるものの、都市近郊の地域にはまだまだ伝統的な生活が残っているようで、こちらもまた再訪したいものです。


サラエボのユダヤ博物館にて館長の解説を聞く


ドブロヴニク旧市街にあるドミニコ修道会にて。
キリスト教に関する展示の片隅に弾丸が。
外のにぎやかな様子からは忘れがちですが、ここで内戦が繰り広げられていたという事実を突きつけられた気がしました


アルバニアの首都ティラナの市場。オリーブがたくさん売られていました


アルバニアのクルヤ城の近くで